宮崎農園の先々代 宮崎藤七(1888~1989)は、明治、大正、昭和、平成と4代100年間を生きた私の祖父です。体は小さかったのですが、力が強くてガマダシ者の百姓でした。
私が農業高校を卒業して就農したのは昭和46年、祖父はすでに83歳の高齢でしたが一緒に作業すると祖父に力負けしそうになることもありました。私の父親は、小さいころに亡くなりましたので祖父から農業の事をいろいろ教えてもらいました。
そんな祖父は酒が好きで、夕食前の晩酌は欠かしませんでした。飲むのは、清酒をコップで一杯、腹いっぱいではありません。そのあと、ちゃんとご飯やおかずを食べて「酒は百薬の長」とか「腹八分に医者いらず」とか言っていました。
90歳を過ぎても、農作業の手伝いはしてくれるし、幼い我が子(祖父にとっては曾孫)の面倒もよく見てくれました。
このままだと、百何十歳まで生きるのだろうと思っていた祖父でしたが、98歳の時、おなかの不調を訴え、大腸癌と診断されて入院しました。
祖父の寿命もこれでおしまいかなと諦めつつも、担当の医師に「この年になっても癌になるとですか、百歳ちかくになったら、普通は衰弱死とかでないですか」と言ったところ、医師曰く「この年まで、癌にもかからずに元気で生きていたのが不思議ですよ」と、そして医師は「高齢者のばあい、普通は手術はしません。
しかし、この人は心身ともにしっかりしているので手術にも耐えられるし、成功すればまだ何年も生きられますよ。手術をやりましょう。」と言っていただきました。
多分、その頃最高齢の癌摘出手術ではなかったかと思います。
開腹での手術で癌を切除して人工肛門の処置をしていただきました。
術後しばらくは順調に回復しているかに見えたのですが、転移していたものがあったらしく再度、腸閉塞を起こして平成元年1月11日に満百歳と3か月の生涯を閉じました。
祖父のメッセージもう一つ 「病は口から」
食べ過ぎず、飲み過ぎず、身体にいい食べ物を適量おいしく楽しく食べなさいと祖父はそう言いたかったのでしょう。
宮崎農園は宮崎藤七のDNAと健康への想いを引き継いでいます。田んぼを耕して米・麦・ミニトマト・ブロッコリーを作ることができる、また、加工食品も作れる。それらを消費者の皆さんに歓んで食べていただくことで皆が健康で活々生活できる。
飽食と言われる現代、食べる物を選んで、食べ方を調整できたら私たちはもっと元気で長生きできると思います。
会社名 | 宮崎農園 有限会社 |
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代表取締役 | 宮崎龍昭 |
設立 | 1994年 |
所在地 | 〒869-0545 熊本県宇城市松橋町砂川1406 ライスセンター 〒869-0545 熊本県宇城市松橋町砂川1148-5 |
TEL/FAX | 0964-33-1077 |
営業時間 | 8:00~17:00 |
定休日 | 日曜日 |
取扱商品 | 米・小麦・ブロッコリー・ミニトマト |
業務内容 | 農産物の生産・販売、農作業の受託 |
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